63年前の8月6日、広島に原子爆弾が落とされました。
そして63年前の8月9日 長崎に原子爆弾が落とされました。
私は、4歳から18歳までを広島で過ごしました。
小学校の頃、この時期が近づくと毎年、道徳の時間は戦争や原爆の話など平和教育にあてられました。
そのせいなのかどうか、それはわかりませんが
私の中には、『地球が平和な星になるにはどうしたらよいのだろうか』という思いがとても強くあります。
あれから63年も経つのに、いまだに地球上から戦争が無くならないのです。
不思議です。
皆でいっせいに「戦争はもう止めましょう!」と言えばよいことなのに、人間はなぜそんなことさえも出来ないのでしょうか。
戦争は、どれだけ相手を痛めつけたかで勝ち負けが決まるのです。
どれだけたくさん占領し、人を殺戮したかで勝ち負けが決まるのです。
そんな勝負があっていいのでしょうか。
いいわけないんです。
尊い人の命を奪うことが勝利に繋がるものなど、あっていいわけないのです。
昔「アメリカが原爆を落としたから、戦争があれで終わったのだ」と教わりました。
原爆投下を正当化する言葉です。
当時、私はその言葉を信じました。
でも、今は、その言葉は違う!と感じています。
アメリカという国家にに対して恨みつらみを感じているのではないのです。
日本にも非があったと思います。
日本人も海外で殺戮もし、目をそむけたくなるようなひどいこともしたのでしょう。
あの戦争に至る過程に関して教えられたことが真実かどうか、私にはわかりませんし。
ただ、原爆を落としてはいけなかったのです。
どこの国がいい悪いではなく、原爆を落とすということは、やってはいけないことだったのです。
それがどれほどむごいことだったのか・・・。
アメリカという国は、日本で原子爆弾の実験をしたのだろうと思います。
なぜ2ヶ所に落としたか。
ウラン濃縮型とプルトニウム型、両方の原爆の威力を知りたかったのだと思います。
戦争とは、新しい兵器を試す場なのでしょう。
そしてもう一つ、アメリカという国の強さを他国に示したかったのでしょう。
なんて愚かなことなのでしょう。
私はアメリカという国が好きです。
けれども原爆投下という行動に対しては、憤りを感じてなりません。
・・・
日本は唯一の被爆国であり、戦争の悲惨さや家族を失う悲しみ、苦しみを知っている国です。
それを知っている国だからこそ、核の放棄を訴え、地球に真に平和が訪れることを真剣に他国に問うていく立場に立てるのではないでしょうか。
地球が、戦争のない平和な星になることを祈ります。